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カラーリングが違う石狩金沢駅、いかがでした? ちなみに本中小屋・中小屋も同じ色になっていたはずです。おそらくほかの駅と同じようにもとの駅舎がホームよりも高くって「島式」だったものと推測されます。車掌車駅舎の手前のコンクリートはおそらく建物の基礎だと思われるし。 多分レールも昔は何本かあったのかもしれません。
北海道に似合わない「かなざわ」という名前に興味を持ってましたが、やっぱり向こうの人がこっちに来ていたようですね。「新十津川」があるのに「十津川」がとなりにないなと思ってたら奈良県の十津川から移住してきた人たちが故郷の名前をつけたそうですし。今は「しんとつかわ」ですが当時はまだ「しんとつがわ」でしたね。地元の名前と一致しないことが問題になっていたそうでしたが・・。アイヌ地名以外の「内地の地名に影響した名前の駅」には、その名前のルーツをさぐっていくと歴史が見えてくるたのしみがありますね。
青森のねぷたもなかなか面白いですね。私も学生のときに毎年イベントで行灯行列なるものがあり、こちらはキャラクターや学校の模型風行灯等を作って町の中を歩いた思い出があります。確か「ドラえもん」の人気キャラ「ドラミちゃん」を作って行進したのですが、人気もそこそこ高く評価されていただけに最後「壊さなければいけない」のは残念でした。(保管するわけにも行かず、結局中の枠しか再利用できなかった)
著作権に関しては友人管理人と相談していくつもりです。元は鉄道趣味仲間の人たちから「ネット上で画像送ってほしい」という声があったのと友人のサイトが更新とまっていて寂しくなっていたところに手紙で写真を送ったらそれをフォトギャラリーにしてくれたのがはじまり。漫画とかゲームの好きな参加者が多かったので学生のときに漫画家志望の友人に対抗して描いていたキャラクターイラストを表紙に持ってきて「鉄道や写真好き以外にも見てもらえる」雰囲気にしました。女の子はオリジナルキャラですが背景は実はモデルになった場所があり、同じアングルに立ったら一発でわかります(笑
御自分のHPを開設されたワケではないのですね。
石狩金沢駅が、昭和最後の時代に撮った写真と塗装が違いますね。この駅以北はあれから更にさびれたのでしょう。JRバスも平行して走行しているようだし、廃止されないことを祈るだけです。
それと私の地元である青森県弘前市にも来ていたのですね。以下のHPからtsugaruをクリックすると青森県弘前市の魅力がいっぱい詰まった内容のページに飛びますので、興味がありましたら御笑覧ください。
それと、クロフォードさんは御自分の著作権を主張された方がいいですよ。私の場合許可無く画像を使われた経験があるので、(C) Keietsu Sayamaと著作権のクレジットを殆どの画像に貼り付けています。これをやってもHPだからどこの誰が悪用しているのか知りませんが、判明した場合にはそれ相当の処置も検討中です。なので自分以外の画像は御好意であっても使わないのです。お誘い戴いてありがとうございましたm__m
返信ありがとうございます。大学前、今は「北海道医療大学」ですね。確かに石狩金沢や新十津川まで行く列車とこの駅までの区間列車のためにホームを分けています。この駅までは「通学通勤ラッシュ」でキハ141や40の改造車を組み合わせて長くして走ってますがここから先は40の単行のみのローカルとなる、まるでここから別路線になっているような雰囲気があります。
さて、友人のサイトに委託でコーナー作ってそこに私の写真を載せてます。おとなり石狩金沢駅や月形町内に休憩所利用で残されているキハ27の写真他、引退前のキハ56-202(深名線や名寄本線でさよなら列車となり、最後まで残ったキハ56として211とコンビでラストランも勤めた)、廃バスや風景を撮ったものがあります。もしよかったら情報提供ネタとしてどうぞ。画像は好きに使っていただいて結構です。悪用しなければ(笑
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Bingo/3467/neko/kurophoto/kurophoto02.html
at-trainさん、初めまして。私は印象に残った駅しか撮っていないので、天北線や名寄本線・標津線は殆ど写真を撮っていなかったです。当時は在りし日の鉄道を記録することに細心の注意が向いていなかったのかも知れませんね>_<
旅行貯金の掲示板にも書いてありますが、当時は旅行貯金にハマっていたので、鉄道は二の次だったのです。なので、廃局された郵便局や立て替える前の郵便局の写真ならかなりあるのですが、鉄道はおなざりになってしまいました>_<
先程弘南鉄道黒石線の納涼列車の写真が見つかったので、新規に黒石線のコーナーへ近日中にup致します。黒石線を撮ったHPも他にありますが、その納涼列車を撮ったのは私だけかも…^_^;
皆既日食はお会いしていなかったですね。自称晴れ男ですから、小笠原の時も第三接触ダイヤモンドリングまでは晴れ間の中で無事に観測出来ました。ところが、ダイヤモンドリングが終わってものの5分ともしないうちに太陽が雲に隠れ、それきり二度と姿を現しませんでした>_<
メキシコは阪急交通社のツアーでサンホセデルカボに行ってます。これからも宜しくお願い致しますm__m
かわうそ99さん、当時の時刻表は一往復だけでしたね。写真は高架化される前の札幌駅と倶知安駅で撮りました。
倶知安駅で撮ったのは、主目的が胆振線の撮影のために行ったのですが、たまたま倶知安駅で乗り換え待ちの時間にうまく撮れたようです。
ところが1981年7月号の時刻表を見ると、急行宗谷が山線を経由して稚内まで運行されていました!また、急行らいでんが倶知安から札幌まで運行されていました。昔の時刻表ならではですね^_^;
今では特急も通らない区間になり、鈍行の函館直行路線もなくなりました。室蘭本線経由では指定
席扱いで鈍行夜行列車が運行されていますが…
こん××は、はじめまして。RAILギャラリーの管理人at-trainです。当ギャラリーにお越し頂きありがとうございました。鉄道と日食というの私と同じで嬉しく思いました。
こちらの鉄道と皆既日食のページを拝見させて頂きました。北海道の廃止前のローカル線は懐かしく思いました。私も学生時代から何度も訪れて全部乗りましたが駅名票など丹念に撮っておけばよかったです。
私は、皆既日食観測には小笠原へはゆうとぴあ丸で行きました。第2接触のダイヤモンドリングは雲に阻まれましたが第3接触のダイヤモンドリングは観測できました。にっぽん丸には私の友人が乗っていました。メキシコはコプティック星座館主催のツアーで行きカボ・サン・ルーカスに泊まりました。観測地はトドスサントスというところのサボテンの間でドイツから来た人たちと一緒でした。99年はベビーカーに乗せた子どもを連れて行ったのでトルコを断念してオーストリアに行き失敗しました。
これからもよろしくお願い致します。
特急北海の項に出ている時刻表に、急行ニセコのスジも載ってますね(´ー`)。
私は'83年8月、岩内線を往復乗車した後、小沢から札幌まで乗ったと記憶しています。時刻表
では結構遅いダイヤのようですが、乗ったときは夏のこととはいえ周囲はまだ明るかったので
もう少し早い時間帯かと思っていました。確かDD51重連に14系客車寒冷地仕様の500番台で、
大阪から長崎・佐世保行き急行雲仙・西海が廃止になったのでそこから転用した車両だったと
思います。ああ、それにしても写真撮っておけばよかった・・・(; ̄_ ̄)
廃線鉄道の趣味は中年の趣味だとばかり思っていましたが、こんなに若い方も興味を持って調べてくれているんですね。クロフォードさんの情報提供には、いつもいつも感謝していますm__m
当時から金欠だったので、アルファとフラノには乗らないで写真だけ撮っていました。
北海道で廃止路線が多発した頃は、ちょうど青春18切符も利用できる期間だったので助かりましたね^_^;
国鉄からJRに移行する際に、国鉄謝恩フリーきっぷというのがあり、6000円で新幹線も使い放題の切符の恩恵に与りました。この掲示板の写真をクリックしていただけると本編のHPが出ますが、そこのあとがきにその切符と裏を掲載しています。
4年前に車を持つようになってからは鉄道との縁が薄くなりました>_<
北海道に住んでいたら廃線跡巡りにも参加出来るのですが、いかんせん津軽海峡が立ちふさがっていますので中々北海道に行く機会がありません。
そういえば昭和最後の時代に札沼線の大学前駅まで通学していましたが、今は学園都市線となって駅名も北海道医療大学駅に変わり、ホームも増えたようですね。私が通学していた時代とは隔世の感がします。今後とも新たな調査状況をお待ちしています。書き込みありがとうございましたm__m
どうも。塚本さんのサイトで情報提供したクロフォードというものです。国鉄末期生まれで名寄本線の廃止時に小学生だったため廃線関係では当時の情報が乏しく、塚本さん達の協力を得ながら地元の人に聞き込みし、古本屋等で当時の資料を入手するというやり方を取っています。
アルファとフラノには昭和60年代にデビューして間もないころまだ幼稚園児でしたが、親に乗せてもらいました。地元富良野線でスキーリゾート列車として走りかなり人気があったようです。乗った時は中間車両にいたのですが車掌が「運転してるところを見せてあげるからこっち来ていいよ」とキハ84(先頭展望車両)のフロントガラスの直前まで連れて行ってくれて感動した記憶があります。運転席が丸見えでしかも前の景色が大パノラマで見られる、フロントガラスをあれだけ大きく取った斬新な車両はありませんでしたね。
旭川に買物や病院通いの際に親が時間を合わせて乗せてくれて何度か乗れたため「旭川鉄道管理局」の乗車証明も保管しています。アルコンの引退は1994年頃、フラノの引退は1998年11月1日でした。フラノは最後に富良野駅に来たため写真を残すことが出来ました。使い捨てでボケてしまいましたが、地元のカメラ屋で先日焼き増し時に少し修正されきれいになって残ってます。昨年には同型のトマムサホロEXPが再塗装されて「トマサホ塗装」がよみがえり石勝線・函館本線を走り「最後のハチマル」として惜しまれながら引退しました。
車両形式は学生の時に図鑑使って覚えました。基本は
キハ・・・気動車(先頭車エンジンつき) キロ・・・(気動車のグリーン車)
シ・・・食堂車(気動車ならキシ等とシがつく) クハ、モハ、クモハ・・・電車
ヨ・・・車掌車・緩急車 オハ、スハ・・・客車(フが付くと車掌室つき緩急客車、JR北海道にはさらにスハフに寝台改造したスハネフ14型寝台客車がある。つまりネがつくと寝台)
これだけ頭に入ってれば廃車体とかを見つけたりしても現役時代どうだったか等調べやすいし、ほかの車両と見比べることもできます。
ボンネット特急車についてはちょっと調査不足なのでわかりませんが、数は減ってきています。保存されているものもあるときいていますが・・。
かわうそさんは、かなり湯巡りをされているようですねぇ。
美山湖温泉は結構穴場で、一昨年初めて行きました。1984年に営業を始めたらしいのですが、ひなびた感じに見える温泉です。まだダム建設工事が始まっていないようなので、行けば入れると思います。
但し近隣住民は、みんな引っ越してしまいました>_<