2007年 青森ねぶたまつり
2007年8月6日に運行されたねぶたを運行順に紹介します。青森市柳町通りで撮影しました。 |
2007.8.6 青森菱友会昔、鳴沢(青森県鰺ヶ沢町鳴沢)に一人の腕のよい刀鍛冶が住んでいた。彼には器量のよい娘がいたが、跡とりがいなかった。そこで、七日の間に十腰(十振)の刀を鍛えられる技量を持った者を娘婿とし、跡を継がせようとした。ある日、鬼神太夫という身なりのよい若者が訪ねてきた。そして、作業中絶対に鍛冶場をのぞかないことを条件に、この難題に挑んだ。ところが、不思議なことに何日たっても鍛冶場からは何の音もせず、食事をとっている気配もない。心配になった刀鍛冶は、こっそりと中をのぞいてしまった。するとそこには、恐ろしい形相をした龍が口から火を吐き、刀を鍛えている姿があった。驚いた刀鍛冶は、娘をこんな化け物にはやれぬと、鬼神太夫が寝ている隙にでき上がった一腰の刀を抜きとり鳴沢川に投げ捨ててしまった。 約束の日の朝、何も知らない鬼神太夫は仕上げた刀を差しだした。一腰、二腰・・・と数えていくが、十腰ない。鬼神太夫は落胆し、そのまま東へ姿を消したのであった。十腰内という地名は、この話が由来になっているという。 |
2007.8.6 に組 東芝石川五右衛門は、今から四百年前の安土桃山時代に実在した人物。その石川五右衛門は悪党であったが、江戸時代の庶民は想像を膨らませ、権力者へ歯向う義賊のヒーローとして、浄瑠璃や歌舞伎の中で、美化しその物語を愛してきた。 五右衛門は実子と共に釜茹での刑になったが、一瞬でも熱地獄から吾が子を遠ざける為に最後の最後まで子供を頭上に掲げ続けた。 本作は、あえて五右衛門とその子が釜茹でで処刑されるという残酷な場面をもって、逆説的に親と子の絆の大切さを表現したもの。 |
2007.8.6 東北電力ねぶた愛好会2007.8.6に青森市柳町通りの国道4号線で撮影した"東北電力ねぶた愛好会"です。 |
2007.8.6 消防第二分団 アサヒビール日本武尊が伊勢神宮で草薙の剣を拝受し、東征の途上の駿河国で、この神剣によって野火の難を払い、草薙剣の別名を与えた。 |
2007.8.6 青森自衛隊ねぶた協賛会義経千本櫻の主人公は源 義経だが、彼はいわば多数の登場人物を繋ぐ扇の要のような存在で、物語の主体となるのは源平合戦で滅びたはずの敵平知盛・平維盛・平教経、吉野の庶民一家そして義経家臣佐藤忠信の偽者(狐忠信)である。この為あらすじも、平知盛・吉野の一家・偽忠信それぞれを主役とした三つの筋が交互に上演される形態となっている。もともと悲劇の英雄として人気の高かった義経伝説に、優れた作劇(後述)がされた本作は大当たりとなり、後世『菅原伝授手習鑑』『仮名手本忠臣蔵』と共に義太夫狂言の三大傑作のひとつに数えられるようになった。 |
2007.8.6 社団法人青森青年会議所八之太郎は、山仕事に出かけた先で、喉を潤すため谷川の水を飲んだ後、ふと水面を見ると自分の姿が大蛇になっているのに気付きました。八之太郎はそれを大変悲しみ、谷川を堰き止めて十和田湖を作り、そこの主となりました。一方、南祖坊は長い全国行脚の途上、神様からお告げを受け、十和田湖を永住の地とすることにしました。 それを見た八之太郎は「われこそは、この湖の主なり」といって南祖坊に襲いかかりました。 この題材は、十和田湖の湖水から出でて襲いかかる大蛇の姿をした八之太郎と、それに応戦する南祖坊との対決の場面であります。 この対決に敗れた八之太郎は、秋田県にある八郎潟の主になったと言われています。 |
2007.8.6 県庁ねぶた実行委員会2007.8.6に青森市柳町通りで撮影した"県庁ねぶた実行委員会"のねぷたです。 |
2007.8.6 日立連合ねぶた委員会『道成寺』 は、紀州道成寺に伝わる安珍・清姫伝説の後日譚に従い、白拍子(女の怨霊)が紀州道成寺の鐘供養の場に訪れる。女人禁制の供養の場であったが、白拍子は舞を舞い歌を歌い、隙をみて梵鐘の中に飛び込む。すると鐘は音を立てて落ち、祈祷によって持ち上がった鐘の中から現れたのは白拍子が蛇体に変化した姿であった。蛇は男に捨てられた怒りに火を吹き暴れるが、僧侶の必死の祈りに堪えず川に飛び込んで消える。 |
2007.8.6 青森パナソニックねぶた会2007.8.6に青森市柳町通りの国道4号線で撮影した"青森パナソニックねぶた会"です。 |
2007.8.6 ヤマト運輸ねぶた実行委員会『李逵』の性格は、狂暴で争いを好むため人々は黒旋風と呼び恐れていたが半面弱い者を助け、真っ正直な気性でもあった。陸での戦いではかなう者はいなかった。一方の『張順』は魚問屋の親方で真っ白な肌が特徴で「波の上を駆ける白い魚」を意味します。後に水軍の頭領となり五又の槍をもち船の先頭で指揮し水中では無敵であった。ある日、魚の奪い合いで戦いとなり陸では李逵の圧倒的な力で張順を苦しめたが、水の中の戦いでは恐い者のなしの張順に李逵は水中へと引き込まれ浮いては沈み水をたっぷり飲まされるが、首領宋江が仲裁に入り仲直りする。その後、互いに兄弟とよびあう仲となり共に梁山泊を目指した。 |
2007.8.6 青森マルハ佞武多会仏跡を訪ね歩いた寂昭法師は、中国の清涼山の麓へと辿り着いた。まさに仙境である。更に、ここから山の中へは細く長い石橋がかかっており、その先は文殊菩薩の浄土であるという。法師は意を決し橋を渡ろうとするが、そこに現われた樵は、尋常な修行では渡る事は無理だから止めておくように諭し、暫く橋のたもとで待つがよいと言い残して消える。ここまでが前段である。中入に後見によって、舞台正面に一畳台と牡丹が据えられ、後段がはじまる。「乱序」という緊迫感溢れる特殊な囃子を打ち破るように獅子が躍り出、法師の目の前で舞台狭しと勇壮な舞を披露するのだ。これこそ文殊菩薩の霊験である。 小書(特殊演出)によっては、獅子が二体になることもある。この場合、頭の白い獅子と赤い獅子が現われ、前者は荘重に、後者は活発に動くのがならいである。前段を省略した半能として演じられることが多い。まことに目出度い、代表的な切能である。 |
2007.8.6 青森県板金工業組合甘寧は若い頃より気概があって遊侠を好み、不良の若者を集めて武装させ、彼らの頭領となった。仲間達は皆、羽飾りを背負い、鈴を常に携えていたので、民衆は鈴の音を聞いただけでそれが甘寧一味だと分かったという。甘寧が孫権に身を寄せると、周瑜・呂蒙が連名で推薦した為、孫権は旧臣同様に甘寧を遇する事にした。この際、甘寧は、まず劉表と黄祖を討って荊州を押さえ、さらに巴蜀(益州)をも攻め、天下に覇を唱えるという「天下二分の計」ともいえる戦略を提言した。国内の反乱を心配する張昭はこれに反対したが、甘寧は張昭に堂々と反論し、孫権も甘寧の言葉を気に入り、杯を与えて信頼を示した。 |
2007.8.6 ねぶた愛好会叛臣蘇我入鹿が連れてきた象を、藤原鎌足の家来山上源内左衛門が入鹿と引きあう。象は本来日本にはいない動物であるが、古くは普賢菩薩の乗り物とされ、また応永の頃から生きている象が来日するようになり、物珍しさにしばしば評判となった。江戸時代には浄瑠璃や歌舞伎の舞台でも象について何度か取り上げられているが、それに「物を引き合う」という歌舞伎の荒事芸を取り入れたものである。 |
2007.8.6 サンロード青森天燈鬼・竜燈鬼は、仏界を守護している善鬼である。天燈鬼・竜燈鬼の持つ燈火は仏界を照らし、人々に世界平和と繁栄を導く光明を放っており、その場面を一対の姿で表わしている。 |
2007.8.6 青森山田学園ねぷたが示す場面は蘇我氏と物部氏の争いで神仏のご加護を受けた聖徳太子が毘沙門天の鎧を借り、物部氏に立ち向かう姿。千手観音の千本の手は、どのような衆生も広く救済しようとする観音の慈悲の力と広大さを表す。 |
2007.8.6 JRねぶた実行委員会酒呑童子が鬼に襲い掛かる姿をあらわしたねぶたである。 |